漫画家協会チャンネル 萩尾望都先生インタビュー#3 書き起こし

日本漫画家協会が運営するYouTubeの番組「漫画家協会チャンネル」に萩尾先生が登場されましたので、そのインタビューを書き起こしました。(敬称略)

公益社団法人日本漫画家協会チャンネル
萩尾望都先生インタビュー
第3回:2023年4月21日アップ

萩尾望都/特別対談ゲスト:きたがわ翔/司会進行:森川ジョージ

ペン先と持ち方、線について

きたがわ:萩尾先生は初期から中期、後期にかけてペン先とかってちょっと変えたりとかしてらっしゃいますか?
萩尾:はい、最初はタチカワのGペンをずっと。それと、どこのかわからないけど、丸ペンですね。本当になんか私、浦沢さんの「漫勉」(※注:浦沢直樹の「漫勉」。2016年3月3日放送)に出た時に浦沢さんに“すごく付け根を持つんですね”って言われて。“え、他の人はどんな持ち方をしてるの?”って。“もっと上を持つんです”って(笑)。思うような線が出ないっていうのがずーっとあって。そうかぁ、それは付け根を持ってたからか…(笑)。青池保子先生なんか、すごいシャープな線を引かれていて。週刊誌の漫画が来たら、一生懸命真似したりするんですけど、全然ね、太い線も細い線もちゃんと出ないんですよね、付け根を持っていたから(笑)
森川:今ちょうどペンあるんですけど、僕、ここですね(注:かなり付け根の方をもつ)
萩尾:え?あの、あの線それですか?じゃあ、持ち方のせいじゃない…(笑)
森川:これも、ちばてつやに聞いたことがあるんですけど。ちばさんは物語に没頭しちゃうんですって。物語に入って描くタイプなんで、どんどん画面と近くなってっちゃうらしいんですよ。ペンも持つところがどんどん近くなって、とにかく紙に近いところで描こうとするらしいんですよ。萩尾さんもそれに近いんじゃないかなと思うんですけど。きたがわ君、今さ、萩尾さんが近いとこで描いていたってちょっとショックだよね。あの柔らかい線をね。
きたがわ:やぁ、ちょっとびっくりだね…
萩尾:じゃあ、持ち方と持ち場所だけじゃないんだ。
きたがわ:でもやっぱり漫画家は基本は持ち方もそうだけど、目って重要じゃないですか?やっぱり僕も歳をとってきて老眼になってくると、やっぱりちょっと細部が見えなくなってきたりするんで。見えなくなると、ちょっとやっぱり絵柄が変わったりしますもんね?
萩尾:はい。そう、あのもう、ね、まあ豆粒大の顔に目鼻を描くのは全く無理になる。拡大鏡見ても無理。だから、やっぱりちょっとデジタルの方に移動してしまいました。あれだと拡大すれば、髪も眉も描けるから…残念です。だから若いうちに仕事はしましょう(笑)。
きたがわ:萩尾先生の“線”だけでいうならば「小鳥の巣」のあたりがすごい好きなんですけど。
萩尾:ありがとうございます。
きたがわ:めちゃめちゃ跳ねてるような感じっていうのかな…
萩尾:あれはね、本当に跳ねてるとすごくわかります。締め切りに遅れに遅れたもんで、毎回すごいスピードで描いていたんです(笑)。
きたがわ:でもなんかこう、萩尾先生の描かれる人物って、すごくその少年でも動きとかが俊敏な感じがするというか。すごく動作が決まってる感じがして。特に写真とか見ずにデッサンでバンバン描いていくタイプですか?
萩尾:あれは“マンガデッサン”といって、基本のスタイルは手塚治虫先生と、多分、横山光輝先生とか(から来てる)。
きたがわ:本当に何ですかね。初期の例えば「(11月の)ギムナジウム」なんかドイツが舞台ですけど、本当にああいう資料って当時はやっぱり映画からですか?
萩尾:外国の映画の雰囲気と画面の資料は本当にね、あの頃、本当になくって。ドイツの観光案内みたいなものがあるんですね。そうすると今だったらね、レストランとかそれからショッピングのデータもいっぱ載ってるけど。歴史的な建物ばっかり載ってるんですね、石造りの。だからそれをじーっと見ながら、組み合わせれば学校になるな、とか。

きたがわ:萩尾先生あの「悲しみの天使」っていう映画を結構ご覧になられたって言ってて。あれは結構背景とかを記憶されたんですか?
萩尾:外観はともかく、学校の内部っていうのがよくわからないもので。廊下があって窓があってドアこんな風に開いとか、なんかそこら辺を必死で覚えた気がします。
きたがわ:本当に、ネットがない時代とかで、ああいう外国もの描くって本当に大変だろうなって。
萩尾:いや、ホント、外観はなんとか、結構写真載るけど、室内が大変。本当にドアを開けたらどれぐらいの距離でテーブルがあるかとか。窓ってどれぐらい開くの?とか内側に開くの?とか外側に開くの?とか。カーテンどんな風にかかってるの?とか。なんか本当に細かいところが。これドア開いたら絨毯めくれるんじゃないか?
きがたわ:だから、そういうところをすごくやっぱり注意しながら映画は見てらしたんだなと思って。
萩尾:なんかねちょっと自分で描くときに、ドアの後ろに人がいたらぶつかるよねとか(笑)ドアはひねらないんだけど、ひねらないドアなんだ。“取っ手”ですね。ひねらないドアなんだろうか?とかね。なんかそんな感じ。ちょこちょこと。
きたがわ:僕なんか、映画観ながらそういうとこ注意してると、全然話が入ってこなくなっちゃうタイプで(笑)。萩尾先生がデビューされた当時って、やっぱり皆さん水野英子先生の影響で外国ものを皆さん描かれてて。西谷祥子先生とか、皆さん描かれていて。車とかの資料とかをどうしてるんだろうなとか。
萩尾:そうですよね、皆さん本当にどうしてるんでしょうね。特に、水野先生はちょっとファンタジーがかっているから、想像でずいぶん描くことができたと思うんですけど。西谷祥子先生になると「白ばら日記」とか。

(注:字幕が「花びら日記」になっていますが、「白ばら物語」だと思います。「花びら日記」(初出『週刊セブンティーン』1968年第29号~1969年第8号)は日本の高校生のお話です。この場合、外国もののお話なので「白ばら物語」(初出『週刊マーガレット』1966年2月27日号)の方だと思います)

「マリイ♥ルウ」(初出『週刊マーガレット』1965年第44号~1966年第1号)とか。それから「学生たちの道」(初出『週刊マーガレット』1967年第46号~1968年第19号)とか資料どうなさったんだろう?ってのはすごい今でも疑問っていうか興味があります。手塚先生も結構外国もの「罪と罰」とか、音楽ものとか、外国を舞台にしても描いてらして。やっぱり衣装どうやって調べられたんだろう?というのが不思議で不思議で…。特にあの「罪と罰」でラスコルニコフ(注:手塚作品の中では“ラスコーリニコフ”ではなくこの表記)がかぶる帽子に三角形の尾っぽがついてるんですよね、つばに。この帽子どこから来たんだろう?というのがものすごい謎で。でも手塚先生と会う時は忘れてるんですよね。最近アメリカで作られた「ホフマン物語」のミュージカル映画をを観たんですよ。そうしたらホフマンがそういう帽子をかぶってるんです、三角帽。あ、この時代の帽子なのかと思って。ひさしのついた。でも手塚先生はね「罪と罰」を描いたのはもっとずっと前だし、どうしたんだろう?まだ疑問が残って、そのまま。

萩尾先生の考える美少年とその表現

森川:すいません、いいですか?残され島の森川です。マニアックすぎて見てる人もついて行けなくなってると思うので。学者が答え合わせしていると、ホントついて行けないんで。ちょっとソフトな質問いいですか?僕から見てなんですけど、萩尾望都先生といえば“美少年”ってイメージがあるんですよ。で、昔じゃ“耽美”という表現をされてたと思うんですけど、最近はされなくなっちゃったと思うんですけど。それの黎明期ですかね、それを作った人だと思うんですけど。萩尾先生にとって“美少年”ってどういう捉え方してます?
萩尾:私はウィーン少年合唱団を見た時に、ホントにびっくりしてしまって。
森川:そこからか…。
きたがわ:結構古い少女漫画のグラビアとか、結構たくさん載ってましたよね。
萩尾:そうそう。ちょうどウィーン少年合唱団が来日した時に、ずいぶん特集やりました。
きたがわ:でも萩尾先生の描かれた人物で、僕が一番、耽美で綺麗って思ってるのは「温室」って読み切りのキャラクターなんですよね。

萩尾:イケダイクミさんの原作のやつですね。イケダイクミさんもすごい美少年とか美青年が好きで。ずいぶんレクチャーを受けました。
きたがわ:ちょっとね唇とかに縦線が入ったりとかして、色っぽいんですね。
萩尾:あれはうまく描くと色っぽく見えるんです(笑)。
きたがわ:誰が最初にやったのかな、縦線とか思いながら。
萩尾:私が覚えてるのは山田ミネコ先生なんですけど。
きたがわ:萩尾先生の絵が一番うわって細かくなったのって「銀の三角」あたりだと思ってるんだ
けど、あの当時、アシスタント何人ぐらいいらっしゃったのかなぁと。
萩尾:えっと、今うちあの部屋に机が6つあって。1つが私の机で、1つはマネージャーさんの机。マネージャーさんも作画手伝ってるんですけど。
きたがわ:マネージャーさんは城章子先生?
萩尾:城章子さんですね。だいたい2人か1人がローテーションで入る。で、もう最後の最後でギリギリになったら、悪いけど(宿泊部屋)6畳なんですど、3人で寝てもらうって感じで、机が埋まって。だから5人か。忙しい時にはやってきて泊まって帰っていくっていうのが、交代でやってもらう。だいたい2泊から3泊ぐらい。

カケアミの達人の先生たち

きたがわ:結構あのナワアミとかのベタからのグラデーションとか、すごい細かくやられてて。
萩尾:それはスタッフの中川が、カケアミの、誰も適わないっていう…本当に細かい、そういうのをできる人で。ほとんどカケアミは中川さんに任せています。
きたがわ:でも本当に少女漫画っていつからかナワアミっていうかカケアミっていうのがすごく流行ってて…
萩尾:あれはね…誰が流行らせたんだっけ?
きたがわ:あれ多分、宮谷一彦先生…
萩尾:そうそうそうそう、宮谷一彦さん。あの人のカケアミを見た時は「これはスクリーントーンだと思う?」「ペンで描いたんだと思う?」「人間はこんなふうに描けないよ」って。
きたがわ:あすなひろし先生と宮谷一彦先生と松森正先生は“三大カケアミの超人”だと思っています。
萩尾:あすなひろし先生もすごく綺麗でしたねぇ。
きたがわ:あすなひろし先生、尚かつ、白い線は全部残してあって、ホワイトじゃないんですよね。だから原稿をこうやって透かすと白い線が透けて見える。
萩尾:きゃー!
きたがわ:だから僕、原画見たことあるんですけど、すごい!と思って…
萩尾:あの雪のシーンなんかも?
きたがわ:そうです。
萩尾:うわぁ、すごいなぁ…。
森川:あの、残され島の森川ですけど、今出てきた名前がマニアック過ぎると思うんですけど。名前はマニアックじゃないんですけど、漫画がマニアックで、技法とかね。あすなひろし先生は『少年チャンピオン』ですよね。
きたがわ:そうです。でも昔は少女漫画だったんですよ。
森川:そうですよね。
きたがわ:はい。
森川:その頃って萩尾さんかぶってるんですか?活躍してる時期…
萩尾:はい、かぶっています。
森川:『少年チャンピオン』も一緒ですか?
萩尾:『少年チャンピオン』?『少年チャンピオン』はもっと後…
きたがわ:もっと後だね。「青い空を、白い雲がかけてった」とかが僕らの世代じゃないですか。あれはもっと全然後で。昔は『なかよし』とか『マーガレット』とかで描いてました。
森川:萩尾さんの「百億の昼と千億の夜」、光瀬(龍)さんが原作の。あれは何年になるんだろう?
きたがわ:あれ1977年。
森川:すぐ出てくるなぁ(笑)なるあほどね。じゃあ、きたがわ君が10歳ぐらいの時?
きたがわ:そう。だから僕は最初はやっぱり萩尾先生はあれで知ったのかな…?
森川:僕もそうなんだよね。
きたがわ:そこからいろいろ読み始めてみたり…。「スター・レッド」とかぶってるのかな?連載時期。
萩尾:「スター・レッド」その2年ぐらい後。
きたがわ:「スター・レッド」もうちょっと後か。

光瀬龍氏原作「百億の昼と千億の夜」のお話

きたがわ:あの、めちゃめちゃ阿修羅(王)が大好きだったんですけど、萩尾先生が描かれる…。
萩尾:私もすごい好きです。やっぱり原作読んで阿修羅(王)に惚れちゃって、カッコよくて。「阿修羅(王)がいいですよね」と編集さんと盛り上がっていたら、そばにいたもう一人の編集さんが“僕、光瀬さん知ってますよ。これ描くんだったら光瀬先生と連絡取りますよ”って言われて。「え?」と思って。ちょっと想像してなかったから、どうしようと思ったけど、これで「いや、いいです」と言ったら二度とこんなチャンスは来ないなと思って。ここで知ってる人がいたのも神様のご縁って感じで。来るものは拒まない。「あ、お願いします!」
きたがわ:いやでも、光瀬先生のあんな難しい小説を漫画にしたいって思うの、多分萩尾先生ぐらいしかいらっしゃらないんじゃないかと思って(笑)
萩尾:いや、読み直したらすごい難しかったです。
きたがわ:めちゃめちゃ難しいです!(笑)あーなんかこんな会話できるなんて、本当にもう。
森川:どんどんしてください!マニアックになりすぎたらちょっと戻しに行きますんで。

同人誌キーロックスについて

きたがわ:またちょっとマニアックな話になってしまうんですけど、キーロックスについてちょっとお伺いしたい。
萩尾:はい。
きたがわ:福山庸治さん以外にどんな方がいらっしゃったんですか?
萩尾:福山庸治さんと、それから原田千代子さんも参加していました。あとは福山庸治さんのお兄さんと。福山庸治さんはお兄さんとですけど、キーロックスっていうバンドを作っていたんですね。そのバンドのメンバーでね。えっとすいません名前が今…あだ名しか覚えてない。なんとかのりゆきさんとか(おそらく池田法行さん)と4人か5人でエレキバンドグループを作っていて。その人たちがちょっとした小説を書いたり、同人誌みたいなことをやっていて。で、いっそ漫画の同人誌を作ろうっていうんで。それで声をかけていただいた。原田千代子さんを通して声をかけていただいて。「あ、入れてください」って言って。女の人4人、男の人4~5人ぐらいのグループでした。しかも、男の人は大半もう高校を卒業していると。

萩尾先生のアシスタントをした漫画家さんと萩尾先生がアシスタントした漫画家さん

きたがわ:萩尾先生の漫画のバックに有名な漫画家さんの方で、モブとかアシスタントさんで誰か描かれたっていうのは、あんまりないんですか?
萩尾:いや、いますよ。山岸凉子先生が1回手伝いに来てくださって。
きたがわ:どの作品ですか?
萩尾:「メリーベルと銀のばら」のパーティーシーンで後ろに綺麗な人たちが、主人公たちが踊る背景に宮廷の女の人たちが、こう…
きたがわ:あれ、山岸さんなんですね。

(注:↑確証はないのですが、これかなぁと思います)

萩尾:あれ、山岸先生が。ちょっと手伝っていただきました。あと、伊東愛子さんがやっぱり「メリーベルと銀のばら」でシーラが吸血鬼になるっていう儀式が行われるんですけど、そこに村人たちが、こうザワザワっと集まってくるところのモブを伊東愛子さんが手伝ってくれました。それから、まだデビュー前だったと思うんですけど、佐藤史生さんが「キャベツ畑の遺産相続人」をやった時に。
きたがわ:キャラクター1人、佐藤史生さんがモデルですよね。(注:ポージィおばさん)

萩尾:そうそう、モデルにして。まったくあんな風な感じの人。褞袍はおって、キャベツを転がしたりして、ちょっと戦闘…戦闘じゃないですが、ま、なるんですけど。その時に「負けるなー!」とか言って、鍋をかぶって頑張ってるおじさん2人ぐらいを佐藤史生さんに描いてもらいました(笑)

(注:↑これも確証はないのですが、これかなぁと思います)

きたがわ:佐藤史生先生の漫画も、本当にこうかなりマニア度の高いSFを描かれていましたよね。萩尾先生は「ガラスの仮面」とかを手伝われたことがあるって…
萩尾:手伝ったことあります。もう美内(すずえ)さんの仕事、すごかったです。一晩で35枚とか。その寸前までネームやってて。私も忙しい時にはね、他の方に手伝っていただくんで「いいよ、私もそれだったら行くよ」って言って暇な時に出かけて行って。「ここ背景描いて!シャンデリアお願い!」「シャ、シャ、シャンデリア…?」とか言って。資料ないしどうしようかと…。勝手にシャンデリア描いたりした。

(#4に続く)

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