女子美術大学オープンキャンパス 萩尾望都先生 特別講演会 レポート

2024年7月14日(日)に毎年恒例の女子美術大学オープンキャンパスにて萩尾望都先生の講演会が開かれました。

今回、萩尾先生は杖をついて登場されました。そんなお姿を拝見するのが初めてだったのでびっくりしていると、「7月3日に家の前のステップを踏み外して、左足の小指の骨を骨折してしまいました。でも口の方は何ともないので、お見苦しいですがお許しください。」とのこと。しばらくは大変だと思いますが、ちょっとほっとしました。どうかお気をつけてください。

内山先生から“女子美術大学オープンキャンパス全体のテーマが“ワンダーランド”であるということで、その話を萩尾先生にしたら、今回の講演のテーマも“7つのワンダーランド”として、ご自分の作品の中で考えられるワンダーランドにすると、いうことになったそうです。

スター・レッド

スター・レッド

このお話は火星に生まれた少女(火星人ですが地球人の子孫)があることで地球にやってきて、何とか自分の故郷の火星に帰りたいという、いわゆる“SF難民物”。火星というのは地球人からしたら「ワンダーランド」。火星生まれの火星人には超能力があり、不思議な力を持っている。彼女は目が赤いが、視覚はほとんどない。周辺を透視能力で認識している。火星の物語では、地球と火星の未来は?火星に生命が生まれるかどうか?というのが一緒のテーマになっている。自分のつくる作品には、時々そういった“出生・出産”に関するテーマを扱ったものがあり、子供が生まれるという人間の子宮の中は一種のワンダーランドではないかと思っている。

人類は地球から出て行ったらどこに住むことができるのかという問いに対し、月も火星も水星もあるが、火星が一番住みやすいのではないか。火星に住む話というのは昔からよくSFに出てくる。執筆当時は火星の写真集を手に入れたり、マリナーが火星に行って写真を撮ってきた写真集を手に入れたりして、いろいろ想像しながら、火星には海がないが、谷や水が走ったような跡がある。だから地下に水があるのではないか。または水のない世界で人はどうやって生きていくのだろうか。といったことを考えながら物語を設定してみた。

神話世界のような衣装だけれど、この人たちは火星人で、予言者が杖をもち、その響きでもって予言をしている。日本の山寺などにもあるが、鍋に火を炊いてくわーんくわーんと打ったら予言ができるというような。そういうのを想像して、未来の予言をするというシーン。

作品を描く前に編集者から急に作品の依頼があった。連載して欲しいから3日以内に予告を入れて欲しい。タイトルとストーリーが必要とのこと。カットを描きながら考えていて、その頃「スター・ウォーズ」がはやっていたから「スター・レッド」に、火星が好きだから火星の話に、火星人で赤い目をした少女という設定にしてしまった。その辺はベタなSFの構成だけれど、そこからどうやってつくるかと、毎回どうしようという感じだった。

物語の中には月からやってきたエルグという生意気な人が出てくる。この人は最初名前があるだけで、背景とか運命とか全然考えてなかった。不思議なもので、この人を登場させて顔を描いたとたんに「この人何か言いたがってる」と感じ、エルグとの会話が始まる。どうして火星に行ったのか、どうしてそんなにセイに興味があるのか?という問いを描きながらすると、うまくエルグが答えてくれて、すごく助かった。

本当は星から星へに行くにはロケットとか宇宙船とかあるが、あるゲートからあるゲートへ空間移動をして着いたという感じで描いたもの。いかにも石ノ森章太郎先生や手塚治虫先生が描きそうな、シンプルな未来設定。

セイが異空間に入り込み、たくさんの火星が見える。それは連続している。時間が過ぎて行ってるから、昨日の火星、今日の火星、明日の火星が並んで見えるという不思議なものを見ているところ。未来では火星は砕けている。どうして砕けているのだろうと探って行く。

金曜の夜の集会

SFだけどパラレルワールドを扱ったもので、どこかの小さな村で起こる一晩の事件のお話。世界はもう滅びているのだけれど、不思議な力をもったお姉さんと村の人たちの力で、世界が滅びる寸前にこの村だけ1年前に戻ることができる。それでまた1年生活することができる。村人はみんな歳を取らないで元に戻ってしまう。記憶は残るけれど、子供はかわいそうということで記憶を全部消してしまう。子供たちは何か同じことをしている気がするけれど忘れているからわからない、という話。
時間が戻ったら何が起こるのだろうという疑問がきっかけでつくった。戻るだけなら、何故同じことをやっているんだと騒ぎになるだろうから、なるべく記憶がない方がいい。何故戻るのかという点については科学にうといので逃げた。

主人公の男の子は女の子に告白したいと思っている。毎年毎年告白したいと思ってる。いつも出来ないまま終わるのだけれど、この物語では少し変則がある。毎年少しずつ違うのだけれど、この年はアクシデントが起こり友達が死んでしまう。亡くなった子のお母さんが泣くのだけれど「大丈夫、また戻るから。明日になれば、また息子は生き返る」と言うのを聞いて、主人公の男の子は「毎年繰り返しているような気がする」と感じる。毎年自分は彼女に告白しようとして出来ないでいる。今回は告白しようというのがこのシーン。

時間が戻るので毎年彗星がやってくる。ここで世界は終わってしまう。封じられた時間の中で永遠に繰り返していく。本当に残酷な話。

グレンスミスの日記/ポーの村

「ポーの一族」はワンダーランドの世界の話。吸血鬼は人間の中でこっそり暮らしているワンダーランドの住民。グレンスミスが昔ポーの村に行って帰ってきたことを日記に書き残していたのを娘のエリザベスが見つけて、吸血鬼の住む永遠の村って何だろうと思いながら成長していく物語。

彼女は結婚したり海を渡り外国に行ったり、戦争に巻き込まれたりといった一生を送るが、その中でグレンスミスが行った村のことが心から離れない。自分がつらいから、美しい村を夢見ているのだと思う。人間はつらい苦しいにかかわらず、ワンダーランドがなければ生きていけないのではないかと思う。毎日同じことをしているだけだと、変化がなくてすり減ってしまう。何か違うことをしなくてはならない。人間の脳はそんなふうに不思議なことを求めるように出来ているのではないか。

エリザベスは恋愛し、彼に付いていったらドイツとイギリスが戦争になってしまう。おばあさんになって、孫に吸血鬼の話をしてあげている。

グレンスミスがポーの村で会ったエドガーがまた突然出てくる。この少年はグレンスミスの日記を知っていて、エドガーという名前を聞いて、ちょっとからかおうと思って話しかけるのだけれど、ちょっと冗談ではないような答えが返ってきて、あれ?と思っているところ。

若い頃のグレンスミスが森の中でちょっと事故を起こしてしまい、メリーベルとエドガーに会う。村に強引に連れて行かれてそこで二晩を過ごす。後で探してみたらその村は見当たらなかったという不思議な話。

(ポーの村ではバラを育てている)“吸血鬼はバラを枯らす”というのを子供の頃から聞いていたから、バラの花びらがぱらぱらっと散るのは絵的にキレイだなと思った。村だったらバラを食料として増やせば、むやみやたらと人を襲わなくてもいいかもしれない。

吸血鬼は血を吸うために首に吸い付くが、これ1回吸ったら何日もつのか?1週間くらいか?月夜の晩に狩りに行くと言うけど1ヶ月もつんだろうかとか考えた。バラを増やしてそれを食べて、人は時々襲うくらいがいいのではないかと。これはエドガーがグレンスミスにちょっと血をちょうだいと吸いに行くシーン。

バルバラ異界

自分の火星好きがこの作品に現れている。この物語の中では火星に研究者が行って、火星の化石を発掘している。一方で、キリヤという地球の少年のところに幻想がやってくる。この青葉という少女が「私たちは昔一緒に火星でいたでしょう?早くまた一つになりましょうよ」と何度も誘いに来る。キリヤはこれを自分の夢だと思うが、ある事情でずっと昏睡状態にある青葉が見ている夢の中に招かれている。昔、火星には生命体であふれていた、海もあった。

小松左京先生の作品に「コルディアスの結び目」という、ずっと眠っている女の子の夢の中に入っていく短編がある。その作品は悲劇で終わる。夢の中に入っていってその人の心理を探るという映画がいくつかあり、その中の一つに、殺人犯がどこかに誘拐している人を救うために夢の中に入っていくというお話がある。夢の中にあるいろいろな無意識から本質や秘密を探り出すのは怖いけれどおもしろいと思って、この話を考えた。

たまたま旅行先で一緒に寝たら同じ夢を見たという友達の話を聞いたことがある。潜在意識というのはどこかでつながっているのかもしれない、とても不思議だと思う。なかなか研究できないジャンル。予知夢、未来のことがわかったり、たまたま同じことを考えていたという不思議な話というのはよく聞く。最近は吉本ばななさんのエッセイを読んでいたら(「夢について」でしょうか?)、ばななさんとお姉さんのシンクロ度がすごく高くて、今日これが食べたいなと思い、同じ素材を買ってきたりする。(萩尾先生のスタッフさんにも食べ物に特化して、欲しいと思った食べ物が現れるという人がいるそうです。)

度会時夫は青葉の夢の中にある“バルバラ”に入っていく。彼は離婚して長いこと会ってなかったから息子のキリヤと仲が悪い。バルバラの方にもタカという少年がいて、キリヤと同じ歳だからつい情が入ってしまう。キリヤと再会してから、小さい頃もっとこうしてあげればよかったと思う。昔は肩車をしてあげたなということを思い出している場面。

小さい頃、いつでも肩車をしたかったけれどそれは出来なかった。でも夢の中では肩車をしたキリヤがどんどん成長していく。お父さんの息子への「本当はお前を愛しているんだよ」というメッセージを表したシーン。

度会は「夢の中に入る」ことを職業にしている人物。もともと感能力があり、訓練をしてできるようになった。人間の脳派をとるようなもので人の夢をの中に入ることが出来る機械ができたので、それを使う組織に入って手伝うことにした、という設定。“夢見の人”という設定は小松左京先生の「ゴルディアスの結び目」にそういう職業の人が出てきた。

タカはバルバラにいるもう一人の男の子で、度会のことを「お父さん」と呼んでいる。

度会の息子のキリヤは事故に遭い、頭を打って死んでしまったシーン。

それを呼び戻そうと思ってキリヤの最後の意識の中にダイビングして、なんとかキリヤの命を取り戻そうと試みるシーン。

マージナル

男しかいない未来社会というのは、なかなかおもしろいワンダーな世界。男だけでは子供は生まれないから、何か対応して子供をどこかでつくらないといけなので、周辺の設定を考えた。
何故男だけになったのか→何かの感染症で女性が死んでしまう、または女性が受胎しない。
どこで受胎するのか→月や火星で別の文明が栄えていて、そこに受精卵をもってきて地球にいる人たちに与える。“マザ”という宗教をつくって順番に子供を渡す。

外の世界の人が自分たちの世界を支配しているらしいということを子供の頃のアシジンが夢うつつに聞く話。この世界は哀れな世界だと言われて子供だから何だかわからないけれど、記憶に残っている。少年の耳には部分的なものしか入ってこないけれど「カツン」と音がしたから靴の音ではないかなと思った。

マザがみんなに子供をくれるという宗教をつくっている。そのマザがみんなが集まっているときに高いところから落下して死んでしまうシーン。これは子供を産むことをマザ一人に集中させてるが、マザのコントロールがきかなくなって、独断で飛び降りてしまったら計画が潰れてしまう、もろい世界だということを表現している。自分で設定したのだけど、ちょっと設定甘いんじゃない?と思った。

キラが海の中に溶け込んでいくシーン。地球は子供が生まれない世界だが、キラの受胎能力のある細胞を海が受け止めてくれる。これを機に地球が再生するのではないかという感じで終わっていく。地球にはせっかく命が育まれているので、滅亡してほしくはない。

メッシュ

思春期の惑いを描いた話。家庭の事情が複雑なメッシュという少年がミロンに助けられて、絵の手伝いをしたり、実のお母さんが生きていることを知って故郷に会いに行ったり、いろいろな単発的なエピソードが重なっている作品。思春期も長い人生から見ると一種のワンダーランドではないかと。思春期にしか出来ないこととか、思春期だけ頭が変になってしまうとか。思い切って何かが出来る年代じゃないかと思う。

パリの街がものすごくきれいだった。白っぽくて、装飾が多くて、それも華美ではなくて、セーヌが流れていて、独特な雰囲気があった。1回パリを舞台にした話を描きたいなと思った。特に街角の細い路、石畳、カフェといったちょっと日常にない、非日常的なところが気持ちがいいなと思った。その気持ちの良いところを切り取って描きたかった。

シュールな愛のリアルな死
シュールな愛のリアルな死

メッシュは父親に復讐したいと思っているので、その復讐をするエピソードや、ミロンのまわりのモデルや友達関係やグループの話もある。メッシュは小さい頃から何度も家出しているので、社会的にちゃんと学校に行って卒業して会社に入るというようなことを全然考えていない。そういう子はどんなふうにして生きていけるのかなと。しかも、人付き合いがそんなによくない。そういう子を描くのがおもしろかった。いきなり暴力シーンが始まるが、描くのはとても楽しくて好きだった。

ルージュ
ルージュ

メッシュは男の子なのに「フランソワーズ」という女の子の名前がついている。実はこれはミスで、当時映画の雑誌などにはフランソワとフランソワーズと混合されて出てくる。例えばフランソワ・トリュフォーだったり、フランソワーズ・トリュフォーだったり両方出てくる。どっちかなと周囲の人に聞いたら「どっちでもいいのでは?」と言われて、みんなも知らなかった。編集者にちゃんと聞けばよかったのかもしれないが、「フランソワーズ」とつけてしまい、描いた後からしまったと気づき、「フランソワーズ」という名前をつけた謂れを考えなければならなくなった。いろいろ顛末を考えているうちに、キャラクターが中性的な方向に進んでくれたので、おもしろかった。

耳をかたむけて

ミロンが故郷に帰って行った話。ミロンを画家にしたのは自分が絵を描くので取っつきやすいだろうなと。音楽家にしたら楽器を決めないとならない。弦楽器にするかピアノにするか、ギターにするか、アンプとか配線とかいろいろ考えないとならない。ちょっとしんどいなぁと思った。昔、学校でグループサウンズのグループをつくってる子たちがいてステージの上に行ったが、配線とか大変。また、音楽家だと集団でやらなければならず、集団にミロンとメッシュ二人で入ってどのように行動するのか。あまりミロンとかかわらず、付かず離れず生きていくのなら、画家ぐらいがちょうどいいかと思った。

謝肉祭

メッシュの知り合いが故郷に帰るとそこでちょうどカーニバルがあり、そこで事故を起こして死んでしまうという事件に巻き込まれる話。その人は秘密を抱えていて、秘密はカーニバルと一緒に闇の中にほどけていく。

春の骨

メッシュが劇に出てくれと言われ、衣装の骸骨のボディスーツを着て舞台に出る。打ち上げに参加して、そこで事件が起こる。勝手に勘違いしたメッシュが骸骨のボディスーツを着たまま街に逃げ出していく。

小鳥の巣

「グレンスミスの日記」の最後のシーンから続いている話。
学校は一種のワンダーランド。特に寄宿学校は同世代が集まって同質的な教育を受ける場所。みんなロボットではないから、それぞれの個性でもってはじけてしまう。「同じであってはいけない」×「教育されなくてはいけない」という反発があり、学校はおもしろい。

温室でバラを育てているマティアスという少年がいる。アランが先生の時計を盗んでしまい、マティアスがアランに返さなければならないと言うが、アランはバラが咲いたら返すという約束をして去っていくシーン。

みんなで外にいたら雨が降ってきたので、一度温室の中に入る。そこで昔この学校にいたロビン・カーという少年の話を始めるというシーン。窓から落ちて死んだけれど、死体があがらなかった。

アランはマティアスにバラが咲いたら時計を返すと言っていたのに、バラが盗まれてしまった。マティアスが悲しんでいたら、アランが「自分がやった」と。バラが咲くと時計を返さなくてはならなくなるからと。

さんざんな目にあったマティアス、とうとう襲われてしまう。パンパネラと気付かれてしまったから、情け容赦なく襲わないとならない。

タイトルの「小鳥の巣」の小鳥は生徒たちのこと。小鳥がその中でがちゃがちゃと鳴いている、学校のことを例えて「小鳥の巣」と名付けた。

8つ目のワンダーランド

今日は7つのワンダーランドというお話でしたが、内山先生が出すお題で萩尾先生が8つ目のワンダーランドをこの場でつくってもらうという提案が出ました。地球温暖化で地球環境が変化しているので、このまま地球が沸騰して人類が住めないようになったら、そうなった先に先生がどういうワンダーランドになるのか。人類がこうなったらいいのでは?ということを考えてくださいと萩尾先生に振ります。萩尾先生がその場で考えて回答してくださるのですが、最初真剣にリアルの話をしていたら、内山先生から促されて途中から創作の話に切り替わっていました。

地球の温暖化について。地球が持続していくためには中世の暮らしくらいにまで戻らないとならないのではないか?地球の人口が多すぎる。何十億といる。それだけの人間を養える食料とテクノロジーが地球をもっているのか?無理ではないか。これから何百億年ももつのか。少しはもつだろうけれど、持続できるのだろうか。少しずつ中世に戻らないとならないだろう。電気、水道を使っている生活をなしにできるのか。例えば車を馬車にできるのか。馬車にするなら馬を飼わないとならない。馬なんか飼えるんだろうか?また、ストーブで薪を焚くと二酸化炭素が出る。どこまで戻れるのだろうか。これまで繁栄の恩恵を受けてきたので、申し訳ないけれど、この後の世界の人たちがどのくらい続くのか、どこまでこの生活が維持できるのか。百年、二百年維持できるのだろうか?

新しいマンガをつくってワンダーランドにするとしたら。火星をテラフォーミングして、そこに第二の地球をつくる。人工生命をつくり、爆発的に人間が増えないようにする。また、テクノロジーを駆使し、宇宙人と協力して生物宇宙船のようなもの、鯨型をした宇宙船で飛び立つ。鯨だから出産する。その宇宙船に乗って一生宇宙で生活する。

アーサー王伝説のアーサー王みたいな人を主人公にし、中世に戻るのと別に近代化しなきゃいけないという一派がいて、近代化と中世の戦いになる。どちらが生き延びることができるのか。どちらが正しいかはわからない。

質疑応答

Q:「ポーの一族」の連載で、再開後のローマ時代からのパンパネラの設定はいつ頃からつくったのか。

A:「ポーの一族」を再開することになり、アランを復活させるについては、どうしたらいいのかと考えた。前にエドガーを吸血鬼にした大老ポーを連れてこなくてはならない。そこで大老ポーと会話をした。もっと若いうちになって吸血鬼を謳歌していればよかったのに、なんでそんな年寄りになってから吸血鬼になったのか。そんな話をしていたら、その「青のパンドラ」の話をいろいろしてくれた。

「ポーの一族」とは別にギリシャを中心とした宇宙人の話をずっと考えていた。断片的につくっていたSFのテキストと大老ポーの話をうまくタッグマッチして今回の「青のパンドラ」まで進むことになった。言ってみると後出しじゃんけんみたいなものだから、これでいいのかと絶えず自問自答している。だからおかしなところがあったら言ってください。

Q:「小鳥の巣」の最後で、キリアンはパンパネラになってしまったのかどうか?

A:若気の至りで描いたのですが。そのときは吸血鬼に食われたからと言って潜在的に残っていくとはどういうことか?どう受け継がれていくのかよくわからない。もし受け継がれていったのだとしたら、3代目に出るのか?4代目に出るのか?吸血鬼の因子をもって成長していく?その子はちゃんと食べられるんだろうか?といろいろと考えてるととりとめがつかなくなって解決ができない。
キリアンはならないが、キリアンの子孫が吸血鬼になるかもしれない‥という話は誰か描いてください。私はちょっと煮詰まってしまいました。

Q:「銀の三角」の設定についてうかがいたい。

A:出生と発展に関するお話で「銀の三角」という滅んでしまった民族がいるということを考えた。最初は音楽とSFを結びつけようとして発想した。「音」「ひびき」とは何だろう?ということをずっと考えていた。ラグトーリンを宇宙の「波動」を司っている存在と考えていた。ある事件が起こって、生まれてなかった子供の声で宇宙が崩壊してしまうので、何とラグトーリンがそれを止めようといろいろ画策する、という話。

音と音楽は不思議だなと、その頃すごく考えていた。武蔵野美術大学に古楽器のコーナーがあるので行ってみた。当時は写真が撮れたので、日本ではあまり見かけないようなアジアの古楽器の写真をたくさん撮ってきた。フォルムが、デザインがとても美しい。昔の琵琶みたいだったり、古いギターみたいだったり。笛や打楽器もそうですが、暮らしの中でだんだん転がして行った話です。


時間を少々オーバーしましたが、それでもなんとか無理矢理「7つのワンダーランド」を詰め込んだ感じです。途中かなりスピードアップしました。「メッシュ」のお話をされる機会が少ないので、貴重でした。「フランソワーズ」が間違いだったというのが興味深いお話でした。間違えなければ、あの名シーンは出来なかったわけですからね‥。「バンパネラ」も間違いから始まった言葉なので、実は度々あることなのかもしれません。

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