萩尾望都先生と作家・朝比奈秋先生との対談の動画を見ました

2024年10月12日に萩尾望都先生と芥川賞作家・朝比奈秋さんと対談が行われ、10月21日に有料配信されました。
こちらで購入できます。
朝比奈秋さん×萩尾望都さん『サンショウウオの四十九日』『半神』特別対談

サンショウウオの四十九日 新潮社 2024年7月12日(初出『新潮』2024年5月号)
半神 小学館(小学館文庫)1996年9月10日(初出『プチフラワー』1984年1月号)

拝聴したので、その対談の動画の感想を書きます。

朝比奈秋先生について

朝比奈先生はお医者さんだそうです。でも、このふわふわのくせっ毛が萩尾作品に登場する男子みたいです。鼻筋もすっと通っていて。そして話し方も柔らかで。京都の人らしいイントネーションが時々出てきて、これはまぁなんと萩尾先生と対談するのにぴったりな青年なんだろうと思って見ていました。このふわふわの毛は寝癖を隠すために開発されたもので、部分パーマをプラスしたものだそうです。その理由や戦略がメチャクチャおかしかったです。

朝比奈先生は、ふわっとした話し方なのに、高橋源一郎さんとの会話を再現するときに、さりげなくその真似をなさってるのが(君は映像派かぁ‥)すごくかわいかった。それに対する萩尾先生のリアクションにバカ受けして、笑いが止まらないところがまたいい。何なの?このキュートな青年は?と思いました。

お名前のせいもあり、文体のせいもあり、萩尾先生は朝比奈先生のこと、最初は女性作家ではないかと思われたそうです。実際、そう言われることが多いようです。朝比奈先生はこれまで古典と言われる文学作品を読んでこなかった。そういった作品はほとんど男性が書いているから影響されていない。だから男性っぽくない書き方なのではないかと指摘された、とのこと。そういうこともあるかもしれません。これまでの文壇にはいなかったタイプなんでしょうね。

萩尾先生から「サンショウウオの四十九日」に関しての疑問

萩尾先生が「サンショウウオの四十九日」に疑問を出されました。

勝彦さん(兄)、若彦さん(弟。主人公たちの父)ともう一人実はいたという設定に、何故三つ子にしたのか?と。これに対し、朝比奈先生は「なんで三つ子?」を何回も自問自答します。でも振ってきた物語が「最初からそうなっていた」そうなので、理由は説明できません。

「半神」の成り立ち

「モザイク・ラセン」に出てきた双子が元なのはよく聞いていましたが、「綺麗な、ちょっとぽーっとしてる弟と、ちゃんとしたてきぱきしたお兄さん」だったんですね?それが「マンガのコマが小さかったから」くっつけちゃって。そうしたらくっついていた方がいいと思った、となって初めてそこで、容姿に差のある二人になったんですね。最初は二人ともイケメンだったと。それは初耳でした。身体が別々だったときは違ったんですね。それで予告を描いたら女の子の顔になったから、それで「兄弟」ではなく「姉妹」になったとそうです。

「半神」を読んでいなくてよかった

朝比奈先生は対談が決まってから「半神」を読まれたそうで、「サンショウオの四十九日」を書く前に「半神」を読んでなくてよかった。これを読んでいたら、書かなくていいやと思ってしまっていただろうと繰り返しおっしゃいます。そうかもしれないですね。

萩尾先生が“文章が音楽的”と指摘すると、朝比奈先生はクラシックのファンで、だからそうかもしれないと。詩を書く小説家の文章に特有のリズムがあって、そういうのいいなぁって思ってたから、音楽的って言われて嬉しい、とはにかみながら言うところが、ものすごく、かわいらしい方ですね。

朝比奈先生「サンショウウオの四十九日」がどうして書かれたかについて語られていますが、もう「ふってきた」系で、あとは物語が書かせてるというか、そういう感じみたいですね。

そして2~3ミリ浮いているとよく言われるけれど、萩尾先生もそうじゃないかとおっしゃる。私もそうじゃないかと思います。

現実との乖離

朝比奈先生はずっと執筆していると現実から離れてしまう。現実への戻り方について問われた萩尾先生は、ベテランらしく、その状態を楽しんだり、さくっと戻れたりするようです。が、朝比奈先生はそれが難しいというお話をされていました。散歩したり、食べたり、肉体を使うことで何とか切り替えているご様子。友達に声をかけてもらったら?と言われて、こそっと「ともだち、いないんですよ‥」で萩尾先生が大爆笑されていました‥。すみません、私も「いなさそう!」と思いました‥。すかさず「家族は?」と切り返した萩尾先生‥朝比奈先生、ご家族とは仲が良いそうです。よかった。

朝比奈先生は憑依タイプの作家なので、ひらめくものを書くという作業に落とし込むことで非常に体力と精神力を削られてしまあう。それをどうしたらいいかを相談するのが、高橋源一郎先生とか長嶋有先生とか、エネルギーとバイタリティがあふれる人たちのようです。たぶん面倒見も良い作家さんなんだろうと思います。でもそれって相談する相手は間違ってませんか?とは思いました‥。

萩尾先生はその辺はどうかというと、「絵があるから私は大丈夫。絵を描くのは楽しい。お話を考えるのは疲れるけれど、絵を描くことで回復する」という、もうね、漫画家の魂です!さすが、原稿を描く仕事の休憩時間に好きな絵をスケッチブックに描く方です。

朝比奈先生は、書くことからは逃れられないけれど、書くことがあまり好きではないので何とか好きにならないと、衰弱するか精神的におかしくなりそうと。どうにかしたいという相談に萩尾先生からは「何か身体を動かしながら楽しめることを」と提案。朝比奈先生はクラシック音楽を聴くのが好きで軽く指揮をしてるので、聴きながら汗びっしょりになるくらいに指揮をするという解決策を出されました。今時は筋トレとか言うのでは‥?よほど運動が嫌いなのか‥と思いました。

朝比奈先生はとにかく憑依系で「書かされている」という感じで「書くことが楽しい」というより命を削って書いている感じなので、自分でもしんどいようで、できれば絵を描くとかで気張らしして欲しいですね。別に発表するとかじゃなくてもいいんです。酉島伝法先生みたいな両立する小説家は滅多にいないので。

全体的に

萩尾先生も朝比奈先生も楽しそうでした。文学の世界が新たに迎えた大型新人である朝比奈先生のことを読者がよく知るにはいい機会だった思います。悩める若手にアドバイスする、ちょっと業種の違うベテラン作家というお二人の会話はふんわりとやさしくて、出会えてよかったなぁと思いました。

ですが、内容的に今回のテーマとなった作品に関しては別でして。確かに「半神」に関する初見の話があったのは意義深いと思います。一方「サンショウオの四十九日」については萩尾先生が読み込んできて質問をされたのですが、何しろ朝比奈先生が憑依系なので「最初からそうなってた」ため、「どうしてこうなった」が説明できるわけではない。作品に対しての突っ込んだ話ができるという感じではそもそもないんですよね。

また、萩尾先生は、自分のことを積極的に話すというタイプではないので、対談の際はほとんど「質問する」方に回ります。それを司会者が萩尾先生に話を振ることでなんとかバランスをとることが多い。今回は司会者がいなかったことで、お二人の話にかなりバランスが崩れているように見えました。

今回の対談動画は編集されているので、他に話されている場面もカットされているのかもしれませんが、カットされているのはおそらく「考えながら話す」朝比奈先生の沈黙の時間ではないかと推測し、配信されたものが全部と仮に想定します。今回の配信動画の内容を全部文字に書き起こしてみました(もちろん有料の配信なので公開はしません)。それでお二人の発言の語数を相づちは除いて数えてみました。萩尾先生が6,237字、朝比奈先生が11,020字でした。かなり差が付いています。

司会なしでの作家どうしの対談は、お互いにお互いの作品についてよく知っている場合はバランスが取れるのですが、今回はそもそも新人とベテランですし、作品点数も違いますが、読んだ作品数も少なめです。フレッシュですがディープな対談とはならなかったように見えます。企画された方か、小学館ないしは新潮社でお二人の作品について詳しい方が司会をすべきだったのではないかと思いました。

組み合わせとしてはたいへんおもしろかったのですが、「サンショウウオの四十九日」は「半神」と近い世界だというのが「思いつき」レベルで、勢いで実現した企画のような感じがします。それでも萩尾先生が楽しそうであれば、ファンとしては何でもよいのですが、プロモーション企画としてはどうなんだろうというのは少し感じました。

そういうこともあって、配信があってすぐに一通り拝見したのですが、感想をあげるのが遅くなりました。申し訳ありません。

「半神」は偉大な作品です。そして「サンショウオの四十九日」は一気に読んでしまうほど、おもしろい作品でした。テーマはもちろんのこと、意識の流れなどを追うところがヴァージニア・ウルフのようで、非常に興味深い作品でした。是非読んでみてください。

「半神」サイン本はもうないようです。「半神」+対談動画はこちら

「サンショウオの四十九日」もサイン本はなく、サインのシールが入った本と動画のセットはこちら。

【追記】2024年11月27日発売の新潮社『波』にこの対談の抄録が掲載されています。
「サンショウウオの四十九日」芥川賞受賞記念対談 萩尾望都×朝比奈秋 小説とマンガ、二組の結合双生児をめぐる双数対話
 『波』2024年12月号 p14~18

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